(平民新聞から)
"アートが力を失っているとすれば、それは技術が芸術を「モニタとヘッドフォン越しに鑑賞する安
全な娯楽」に貶めた結果で、多くの人間に伝搬することが可能になった反面「観客の安全は保証されている」と言う暗黙の前提が生まれた。商業的な成功を収め
やすくなっただけで、人々の価値観を変えられない。"
The Beautiful Mystery of Chie Aoki’s Work
Chie Aoki’s sculptures are very mysterious and so is the artist. There’s a complete loss of identity in the glistening black faceless forms. Aoki is an exception to the rule that an artist has to have information, a website, and gallery exhibitions that are available to peruse online, instead there is hardly a trace of the artist’s identity available the web. This unusual lack of a significant online presence seems to continue the underlying theme of these beautiful sculptures; that they are a mystery and the work speaks itself.
"デザイナーがデザイナーになるのは
偶然の一致によってではなく、
彼のたゆまぬ継続によってである。
継続とは働くことと探求すること、
働くことと闘うこと、
働くことと発見すること、
発見することと見ること
見ることと伝達すること、
そして再び、
働くことと探求すること。デザイナーは過去に、そして現在に
チャレンジしなければならない。
未来にチャレンジしなければならない。
しかし何よりもまず、
デザイナーは自分に対して
真実でなければならない。デザインは姿勢である。
"
"その人の中のどんな属性を憎んだり、好ましくないと思うかって、属性で相手を分解していくと、結果としてその属性に対する自分の評価が見えてくる。欲望や正義感や、信じるもの、憎むものが見えてくる。「その人と私」の問題ではなくて、「私はこういうものを求めている」とか「私は人間のこのような面に対して、非常に嫌悪感を抱く」っていう、普遍的な法則が見出せるわけですよね。"
"「脳の立場」から説明すると、「何度も入力されるから」覚えるのではなく、「何度も出力する場面があるから」覚えるということなんです。"
Micro missiles
反骨と発明とユーモア
それがヒップホップの三大精神だと思う。
というか、逆に言えば<反骨と発明とユーモア>という要素さえあれば、別にヒップホップでなくてもかまわない。
クラシック作品であってもいいし、ひょっとしたら長唄や浄瑠璃であってもいいのだ。
少なくとも僕はヒップホップという形式にこだわっている人の気がしれないし、そういうこだわりが持つ狭苦しさは反ヒップホップ的だと思うのである。
さらにヒップホップの三大精神が鋭い社会意識の上に乗っかっていることも重要な事実だろう。
社会意識のない場所で<反骨と発明とユーモア>を貫いていても、それはヒップホップではない。
むしろ他の音楽分野に席を譲らなければならなくなるはずだ。
だから、僕は例えばベックこそがヒップホップ精神の塊だと思う。
だいたい、どう見てもあの顔は武満徹の生まれ変わりみたいな具合だし、<反骨と発明とユーモア>の嵐のような音楽と詞を作り続けているからだ。
だが、現在の日本のヒップホップはまだベックひとり生み出せていない。
ブレイクスルーしそうな雰囲気には度々なるのだけど、村人みたいな意識がどこからか邪魔をして自由を奪ってしまう。
そうそう、その自由というものと都会的意識もヒップホップの大切な要素だった。
そいつを忘れちゃ何も出来ない。
こだわらない、と自己反省も含めて書いておきたい。あれこれとヒップホップ精神を数え上げたあげく、最終的にはこだわらないこと。
しかし、こだわらず自由でいることは至難の業である。
自由になったつもりでも必ず誰かの真似になっている。
不自由さの檻の中で小さな自由を満喫していることになる。
日本には禅があるのになぜ誰もそれを使わないのだろうか。
ヒップホップは禅僧が社会に出て自由を実践して回るような音楽だというのに。
果てしない自由さで世の中を変えようとする運動。
それがヒップホップだというのに。
で、禅はこう教えている。
父母に会ったら父母を殺し、師に会ったら師を殺し、釈迦に会ったら釈迦を殺せ。
むろん殺す勢いで乗り越えろという意味である。
こだわらず超越しろという意味である。
本当に殺してしまうとしたら、それは相手にこだわりを持ってしまった証拠だ。
ださい。
だとすれば、こういう風にも言えるだろう。
ヒップホップに会ったらヒップホップを殺せ。
それがヒップホップだ、と。
自由。
文:いとうせいこう
ーSPACE SHOWER TV『ヒップホップロワイヤルタイムス』2000年ーhttps://www.facebook.com/photo.php?fbid=500167560020255&set=pb.209252592445088.-2207520000.1364784215&type=3&theater
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